天王寺教会の沿革

明治29年、もとは船乗りであられた木村亀三郎師が、大阪府東成郡天王寺村(後の天王寺区伶人町)にて、取次の御用に従事する事になったのが天王寺教会の始まりです。
奥様の小松夫人と二人三脚の御用でしたがお二人に子供はなく、天王寺教会の月次祭に度々講話に来られていた見浦徳三郎師に白羽の矢が立ち、初代の死後、見浦徳三郎師が二代教会長として、すぎ夫人と共に多くの人々を取次にて助けられました。


大阪の道修町の「阿波忠」という金物商の長男であった徳三郎師は、「お前はお道が性に合うてる。教師にならせてもらえ」との母君の言葉に一大決心をし、「一生、教会の書生、掃除、小使いで終わろうとも再び商人にはもどらぬ」、と金光教の教師となられました。
一方のすぎ夫人は生家の「めぐり」のお取り払いの為に教師となられましたが、徳三郎師との御用当時は「女性教師の鏡」と言われ、ご性格はとても厳しい方でした。
このお二人にも子供がなく、自身を病から救って下さった神様への御恩返しとして、生涯を神様に捧げようとお道の教師となられた見浦昭一師がお二人の養子となり、徳三郎師の死後、三代教会長となりました。


徳三郎師のご晩年、昭一師は岡山県にある連島教会、藤井和賀之助師の三女であった藤井由喜子師を妻として迎えましたが、昭一師のあとは、その由喜子師が四代教会長として御用に立たれました。
現在、教会は五代目となり、令和7年で開教125年目を迎えております。長かった茶臼山のお土地での御用に幕を引き、2025年に移転しました。
教会建物の歴史
明治時代の教会

昭和3年の教会(仮広前)


昭和4年〜の教会

昭和41年〜令和7年までの教会



令和7年からの教会



移転の歩み
2024年4月 地鎮祭

2025年2月 遷座祭(旧教会)


遷座祭(新教会)


2025年4月 新築落成奉告祭


2025年9月 旧教会解体完了





